老人ホームで人生を終えること

先日、老人ホームで暮らしていた大叔父が亡くなりました。
95歳の大往生です。
この日曜に簡単なお葬式をやってきました。
 
あきる野市にある老人ホームは山のそばにあり、入り口には季節のお花があって、
ゆっくりと時間が流れているようでした。
清潔な空間に、壁に貼られたたくさんの楽しそうな行事の写真。
大叔父はずいぶんよくしていただいたようで、
お習字を楽しんだり、95歳のお誕生日をお祝いしてもらっている写真などを見せてもらいました。
元気で楽しそうな写真の姿をみると、
ホームに入れてよかったと思いました。
 
痴呆症が進んで、祖母が亡くなって一人になった家で
何度も夜中にリュックサックを背負って「デイサービスに行く」「田舎に帰る」といって
出かけては近所の方に助けられたり、
ヘルパーさんにご飯を作ってもらったり、
とても大変だった一人暮らしの老人生活からホームに入り、大変穏やかになったそうです。
私たち親族の顔もわからなくなっていて、ホームに行っても無駄と父から言われていたので
一度も遊びには行きませんでしたが、
父と伯母の顔だけは最後まで覚えていてくれたそうです。
 
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ホームの職員の方々もお葬式に来てくださって、最後は全員でお見送りまでしてくれました。
本当にこころから感謝してます。
職員の方々は私が思っていたよりも若い方が多く、男性もたくさんいて、
介護の仕事にかかわる人材がだいぶ若く男女差もなくなってきているんだと感じました。
 
そのあと、近くの斎場で火葬に。
とってもきれいなホテルみたいな火葬場にびっくりでした。
 
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大叔父の家(父方の祖母の家)は山形の旧家になります。
広大な墓所があるそうですが、50年以上誰も供養していなかったところに
今回の大叔父の埋葬をお願いしようとしたら、
お寺からその墓所は納骨堂にする予定で、1体80万円で供養になり、
そこの家のお墓には38人分埋葬されていて全員分の供養費を払うように言われたので
そこにお願いするのはやめようかということになっています。
 
大叔父はそんな旧家の末の息子として生まれたのに、
小学生くらいで家が没落し幼い時から子守の奉公などをやっていたそうです。
東京に出てきて中島飛行機工場に勤め、
戦後は祖父が戦死して働き手のいなくなった私の祖母を助けて酒屋をやって
自分の人生を犠牲にするように父たち兄弟を育ててくれました。
祖母が動けなくなって91歳で亡くなるまでの身の回りの世話などをやってくれました。
幼い私たちが遊びに行くと、蒸かしたサツマイモや洗い立てのイチゴをお皿にもって出してくれたり、
お店に並んでいるオレンジジュースの瓶のふたを開けてくれたり、
あまりしゃべらない人でしたが、とてもかわいがってくれました。
 
大叔父が老人ホームに入ってから住んでいた家に私が住むかもということになり
片づけに通いましたが、大量の民俗学の本や雑誌、軍服、祖父の手紙などが残っていました。
大叔父は登山が趣味で70歳を超えても富士山に登りに行ったりしていたそうです。
登山の道具もたくさんありました。
 
お骨は収めるお墓がまだ決まっていないのでまたホームに預かってもらうことになりました。
いまの老人ホームってお骨を預かってくれたり、引き取り手のないお骨を供養してくれたりと
至れり尽くせりなんですね。
初めて知りました。
ホームのご厚意に感激しています。
大叔父はホームで最期を迎えることができて幸せだったと思います。
 
そんなお骨をホームに預けにいくと、もう1人霊柩車がホームから出ていきました。
見送る家族がいない方もいるんですね。
 
老人ホームと家族と人生についていろいろと思ってしまいました。
大叔父さん、今までありがとう。安らかに眠ってくださいね。