父を入院させた日(レスパイト入院という名の医療保護入院)

父を認知症の専門病院に入院させた。

 

本人には「薬の調整を行うため」と伝えたが、

実際は母たちが疲れ果てていてもう世話ができなくなったための入院だ。

レスパイト入院(家族を守るための入院)である。

この制度を探してきたのは、私。

母や妹、担当のケアマネさんに提案したのも私。

父に「入院することになった」とウソの説明をしたのも私。

私と母とで父を入院させてしまった。

 

前日から実家に泊まって、夜中に母と入院の書類の作成をした。

(前日は妹一家といちご狩りに行ったんだけどね)

2時間おきに起きてくる父。

「お母さんはどこかい?」

「おはようございます。本日もよろしくお願いいたします」

「今日は何時に出社か?」

 

そのたびに母と対応する。

「お母さんはお風呂だよ」

「まだ3時だから、もうしばらく寝ていて。時間になったら起こすよ」

「出社はなくて、お昼くらいにみんなで病院に行くよ」

 

母と妹は、これに毎日付き合っているのか。

リビングから離れられない。眠れない。

 

朝は家族みんなで朝ごはん。

最後なので、とっても豪華(いつもなのかな?)

メザシを焼いたのや、シュウマイなどが出てる。

甥っ子、姪っ子が元気いっぱいにご飯を食べる。

遊びまわる子供たちにつかれて、父は自室に引っ込む。

 

昨日まではカーディガンを着て、ちょっと寒いくらいだったのに、

急に春真っ盛りのような晴れて暑い日となった。

入院の書類をコンビニでコピーし、昼ご飯をコンビニで調達する。

サンドイッチ、海苔巻き、サラダ、焼き鳥、そして父の好きなコロッケを買った。

母は入院一時金を下ろしに行く。

私と母が留守の間に、甥っ子と父でデコポンを向いてくれていた。

甥っ子は自分は食べないけれどみかんの皮をむくのが好きなの。

「おじいちゃんとぼくで力を合わせて皮をむいたの」と嬉しそう。

昼ごはんの後に昨日のいちご狩りでお土産に買ったイチゴをみんなで食べた。

中まで赤くて、甘酸っぱいよつぼし。

 

それから、みんなで写真を撮って、私と母と父で病院に向かう。

甥っ子は「おじいちゃんにしばらくあえないのがさみしいよ」と大泣きする。

助手席でシートベルトをつけられない父にシートベルトをつけてあげるのは何回目だろうか?

 

近くの喫茶店に入る。

祖父が行きつけにしていて、父も常連だったお店「マドンナ」。

最後くらい大好きだった美味しいコーヒーを飲んでもらいたいから、

マドンナによってから病院に行くと決めていた。

父と母はブレンド、私はアイスカフェオーレを注文。

綺麗な花が飾ってあり、カウンターの中でマスターが手際よく作業しているのを横目に見ながら、久しぶりのマドンナを堪能。

「久しぶりに喫茶店らしい喫茶店に来た」と喜ぶ父。

 

病院は、駐車場がちょっと離れているので、父と母を病院の入口に降ろして車を止めに行く。

父と母は二人で入り口の桜やみかんをみていた。

急にやってきた春に答えて、桜がぽつぽつと咲いていた。

みかんの木には大きな実がついている。

「桜かな?」

「桜だね」

「今年最初に見たね」と話し、そろそろ行こうかと病院の中に入る。

 

受付で、父と母を後ろの長椅子に座らせて、

「本日入院の●●です。13:30から担当のSさんと約束してます。本人には薬の調整を行うための入院と伝えていますので、よろしくお願いいたします」と受付の方に伝えて担当者を待つ。

その間にも、2~3組、患者さんを連れていたり、家族さんだけの入院相談の人がきて、担当者と話していく。

ああ、うちだけじゃないんだ。。。とおもうが、

昨日と今日の穏やかで機嫌のいい父は昔のお父さんのままなので、

この父を入院させて家族と離したらどんどん私たちのことが父の中からなくなってしまうと思うと、砂がこぼれていくようになんだかホロホロとさみしさと申しわけなさがこぼれる。

取り返しのつかないことをしているんじゃないか?

 

担当者が父を連れていき、少し離れたところで質問している声がたくさんの音の中から抽出されて聞こえてくる。

「ここがどこだかわかりますか?」「わからないね」

「じゃあ、学校、お家、病院のうちどこかわかりますか?「病院だね」

「100から7を引いて行ってください」「93 70 えーと何だっけ、」

「今からいう●●を、、、、、」

雑多な音や声の洪水に押し流されて担当者の声も父の声も途切れてくる。

 

担当者が私と母の前に来て、「今から主治医の先生から説明がありますから」と言われて父と一緒に説明を聞く。

 

その後、父は入院病棟に連れていかれた。

「またね」と言葉を交わすタイミングもなかった。

父は次に会う時には私のことを覚えているのだろうか?

 

父のいないところで、主治医から追加の説明を受ける。

主治医からの説明を受けている間、

母は何度も眠り込み、揺れていて、「大丈夫ですか?横になりますか?」と言われる状態だった。

本当に限界だったのだろう。

主治医の先生が説明おわって、「ずいぶん疲れていますね」というくらい。

今1歳になった姪っ子が妹のおなかにいるときに、切迫流産で絶対安静となった妹と2才の甥っ子が一緒に住むようになり、その後姪っ子が生まれ、

孫の子育てと、後期高齢者の95歳の祖母とこの状態の父と同居しており、

すべて母の負担となっていること、

この間に祖母が2回も入院したことを話すと、

「よく今まで生きてくれましたね。普通だったら過労で死んでますよ」と言われた。

ああ、やっぱりうちの状態は大変なんだと、辛いと思ってよかったんだとちょっと安心した。

母が過労死しなくてよかった。

 

それから、担当者Sさんから県に提出する書類の記入を求められたり、

入院関係の書類を提出したり。

 

その後病棟の看護師から説明を受ける。

(父とわかれて2時間後くらい)

その時点ですでに帰りたくて不穏で病棟内を歩き回っている状態だとのこと。。。

先が思いやられる。

看護師からの説明を受けている間、

あんまり帰ってこないので妹が心配して何度もかけてきた電話がなってとっても焦る。

 

全ての手続きを終えて、病院を出て、

外の光を浴びて、先ほど父と見た桜を母と二人で観た。

「これで少しは休めるね」と言い合って、家に帰る。

 

家では、妹、祖母、姪っ子、甥っ子が待ちくたびれていた。

コロナ予防接種3回目の接種証明のコピーを郵送することや、

今日の話を説明し、ケアマネさんにも報告して、

介護ベッドの引き上げなどを依頼し、次の入居先希望(グループホームを探したい)ことを伝え、コーヒーを飲みお菓子を食べ、ちょっと休憩。

 

退屈しまくっていた甥っ子姪っ子が遊んでと襲ってくる。

かわいいし遊ぶのは楽しいけど、さすがに今日はちょっと疲れた。

 

19:00過ぎに自宅に戻る。

夫は一昨日受けたコロナワクチン3回目の副反応で出た熱が下がっていなかった。

昨日の夜は「もう下がった」と言ってたから、、、

ごめんね。具合が悪いときにそばにいてあげられなくてごめんね。

 

今日は長い一日だった。

興奮して眠れない。

疲れているのに、涙がわいてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

もうすぐ認知症の父が実家からいなくなりそう

すっごく久しぶりのブログ更新です。

 

 

私の実家では両親と母方の祖母、妹一家(妹、妹の夫、長男、長女)が同居している。

私は同じ市内のちょっと離れたところに夫と二人で住んでいる。

 

父が認知症っぽいと思ったのは2009年くらいかな?

ジャガイモばかり大量に買い込んだり、

毎日散歩に行ってはものをなくしていたので、

そのあたりから私はおかしいと思っていた。

母に「おかしいよ。認知症じゃないか?」といっても聞き入れてもらえなかったし、

私は父と仲が悪かったからあまり深入りしないでおくことにしていた。

 

その後、なんども財布を無くし、実印をなくし、

ATMの使い方がわからなくて途方に暮れているところをみずほ銀行さんから市役所と警察に連絡がいって、警察の人と市役所の人から「これは認知症ですね」と言われてようやく母が父を病院に連れて行ったのが平成30年のあたり。

この病院で出された薬で下痢をするからといって薬も飲まず、行くのをやめたのが平成31年。そこから認知症の専門ではない近所の内科医にリバスタッチパッチを出してもらっているだけだった。

暴力行為で通っていたデイサービスの職員さんを骨折させてしまい出入り禁止になったのが令和2年。そこから病院を認知症の治療に力を入れているクリニックに変えて今に至っている。

一人で通院できなくなっているので、父の通院の際に付き添い車を出すのは私の役目になってしまった(ちなみに祖母の通院の際も付き添いと運転手をやっている)

通院の帰りに珈琲館によってコーヒーなどを飲ませる時間を取っているのが、私のできる最後の親孝行かな。

 

気が付いたら父は要介護5になっていて、生活の全てにおいて介助が必要な状態になっていた。介護を行うのは母で、可愛そうなくらい疲れ果てている。

 

父はこれまでの間に約束を忘れて友人からの信頼を失い、

問題を起こすので老人会からも追い出され、

毎日通っていた気功の回でも「マスクをしない」ことでトラブルになり、、、

父には普通の社会との接点がなくなりつつある。

家族と今通っている認知症向けデイサービスだけが父の世界だ。

 

家の中は3才と1才の幼子がいて、元気いっぱいに走り回っており、

にぎやかで落ち着かないのだろう。

ソファーか自室にこもって寝るばかり。

夜中に起きてきて「外に出られない」「帰れない」「どこに行ったらいいんだ」を大きな声で叫んでいる。

トイレでないところにおしっこをする。

家じゅういろんなところがおしっこまみれだ。

それを見つけて悲鳴をあげながら掃除をする母。

母はこの1年でものすごくやつれてしまった。

妹も幼子2人抱えて父のことも面倒見て、疲れ切っている。

 

最近では父とはあまり会話ができなくなってきた。

いちごを食べながら「いちご美味しい?」ときくと「美味しい」と返してくれるけど。

「今日はどうだった?」と聞くと「どうもこうも、●●電車区では△△で・・・・」という妄想の中のお話しか返ってこない。

 

父の姉夫婦が遊びに来てくれた時もずっと「写真を撮っておけばよかった。写真をとらないといけないんだ。」とすべての話を写真の話になってしまった。おじさんおばさんは1時間くらいしか一緒にいられなかったけど、父が明らかにおかしいのは分かったんだろう。

父はとっても楽しかったみたいだけど、興奮しすぎたみたいで次の日のデイサービスでは不穏時対応されていた。

 

明日3月3日に、ケアマネさんと家族の話し合いの時に、レスパイト入院の説明を聞きに行った病院の家族支援員さんが同席してくれるとのこと。これで決まるのかな。

父との思い出を今思い出すと眠れなくなりそうだから、話し合いが終わったとにゆっくり思い出すとするか。

さあどうなることやら。

 

私は失業状態だから、実家の手伝いができるけど、仕事があったらこんなにかかわれないよな。仕事がなくてよかったんだか悪かったんだか。

でも、実家問題があるから仕事が探せないんだな。父と母と祖母を病院に連れていくので月曜日と金曜日が稼働できない状態なうえ、いつ警察から「お父さんを保護したので迎えに来てください」という連絡が来るかわからないから。

 

 

 

 

 

宝塚歌劇団雪組公演「fff」「シルクロード」「望海風斗ラストデイ」ライブビューイング

行ってきました。

池袋HUMAXで観てきました。

感動しすぎてとりあえず思いつくまま。

 

「fffフォルテッシシモ」

望海風斗のラストにベートーベンで第九歌って終わるってすごいカタルシスだ。

ベートーベンの曲が随所に使用されているから、基本的に音楽が良い!

だいもんもきいちゃんもめっちゃ歌がうまいので、

楽曲の良さ、歌唱の良さだけでもすごいいいもの見たって感じる。

ゲーテにナポレオン、ベートーベンのアイドルとして登場。

ナポレオンは時代を早くしすぎた天才ってことなんだろう。

「人と物と情報が自由に遠くまで運ばれ優れたものを交換できる世界」って、200年後にようやくそれっぽくなっているところじゃない?

ゲーテは文化人の象徴。

ゲルハルトは良心、ロールヘンは憧れってとこか。

モーツアルトヘンデルテレマン狂言回し。

運命のモチーフは大活躍、4つの音「タタタタン」に合わせて雪の中、兵士が隊列を組んで踊るところとかすごかった。

月光ソナタに合わせてウェルテルとロッテと黒衣の女2人で踊るところもよかった。

もう素敵なとこ多すぎて書ききれないよ

人生は幸せだった

 

シルクロード

望海風斗の魅力を堪能するためのショー

ターバン!インド風、アラブ風、チャイな服、眼福

キャラバン隊に卒業メンバーのかりまちけんじひーこにしょうくん

私も雪組ファンだわな

彩凪翔の「じゃあね」にやられた

黒燕尾!!!青バラと」黒燕尾!!!

 

「サヨナラショー」

やばい、もう寝なきゃ

とりあえずここまで

 

 

 

 

 

前回書いた時とは別の世界にいるよう

採卵の直前まで書いたんだっけ。。。

私は仕事を失い、転職もできず、不妊治療も新型コロナの蔓延のおかげで採卵のみやっている状態で、家に引きこもっている。

 

会社は、仕事について「やらせる仕事がない状態で外部からの業務委託を受けるのは許すことはできない」というわけわかんない理由で、会社辞めるように迫られてしまった。

会社都合で辞めたことにしたいといったら、ごたごたしてしまい、会社都合退職だが私の能力が低く、改善が見られないために退職勧奨という辞め方をして3月31日で退職。

無職になった。

 

私に仕事を依頼したいと言っていた人は、契約書を交わす直前まで行ったが、

社内に新型コロナ感染者が出てしまい、しばらく動けない状態にある。

 

失業手当は離職票がないからもらえないし、ハロワからも「傷病手当を伸ばしてもらってください」と指示されているので、主治医にお願いして傷病手当を生活費のメインにする予定。

でも、もらえるのは3月28日に主治医に申請をお願いして書いてもらい、手元に来るのが3週間後とのことなので、3月分のお金は私の手元に来るのはいつになるのか?

 

ほんの数週間前なのに、いろいろ変わってしまった。

志村けんも死んじゃったし。

桜は終わってしまう。

毎日家にいるから立ち上がる力がなくなる。

明日は不妊治療の病院に行く日。

早く起きないといけない。

クロミット投与から8日目(1月20日)ー仕事でなんか騒がしくなる

安定の朝動けない状態から、11:30くらいに会社に行くための電車をホームで待っていたら、以前に一緒に仕事をしていたひとから「仕事を頼みたい」とtelが来た。

今の会社で飼い殺し状態で何もしないでいるより楽しそうだけど、

不妊治療始めちゃったからなあ。

何だってこうタイミングが悪いの?

 

私のか弱いストレス耐性では、この時点で軽くパニック。

何をどうしたらいいのかわからない。

全部「もう嫌!わからない」って言って投げだしたい気分。

 

この体調の悪さも今日まで、明日の採卵が終わったら少しは楽になるはず。

そう思って、先延ばしにした。

 

今日からはクロミットのまなくて済む。きっと明日は起きられる。

 

クロミット投与から7日目(1月19日)ー採卵日決定のための診察

今日も安定のだるくて頭痛くて動けない状態からの通院。

加藤レディースクリニックでの卵管通水検査を受ける。

 

内診室でモニター見ながら卵管に通水されるのは、

けっこう痛かった。

その後も出血がある。

大型の生理用ナプキン(昭和のころ、羽根つきとかが出る前のやつみたいなの)が渡される。

それなりに出血があるので、次回は自分の生理用ナプキンを持参しようと心に決めた。

この出血は夜まで続いた。

 

子宮内膜が7mmしかなく薄いので、採卵のみで移植はしないことになった。

クロミットの副作用に「子宮内膜を薄くする」があったし、

服薬中の副作用がきつかったので、そうなるだろうなと思っていたが、その通りになってなんだか悲しい。

 

採卵日は21日に決定した。

本日19日までクロミットは服薬することになった。

頭痛持ちのため、ロキソニンボルタレンをよく飲んでいることを再度報告すると、

排卵防止のためのボルタレン座薬の使用はなくなった。

いいんだか悪いんだか。

 

本日の23時に「スプレキュア」というものを点鼻することになった。

5分遅れてもいけないとのこと。

タイマーセットして、準備にあたることにした。

 

不妊治療 クロミット4日目(金)

 今日も朝起きられない。動けない。めまいと倦怠感で動けない。

出社は12:00過ぎになってしまう。

日を追うごとに体調が悪化する。

 

何とか出社したら、社内のgoogleドライブの共有ドライブで私が共有していたやつが全部消されていることに気づく。

slackも全部消されている。

完全に誰とも情報を共有しない状態に突入した。

いじめ?

人との関係を断ち切らせて、会社辞めるように仕向けているの?

猜疑心でいっぱい。

ハローワークに相談に行きたい。

退職勧告されているようなものだし。

 

体調もメンタルも最悪。

頭痛い、めまい、だるい、動けない、目がチカチカしてPC画面見るのがつらい。

どう考えてもいまうつ状態

 

寝る直前に夫に「もう嫌だ!耐えらんない。今回で最後にする」とわめき、

明日のシンポジウム用の準備していたものを投げてあたってしまった。

夫は「それでも子供が欲しいんだ」と泣くし、

私はシンポジウムに行けないかもしれない不安感でかなってやる余裕がない。

眠れなかったし、きつすぎた。