安部譲二さん「塀の中の懲りない面々」の訃報

作家の安部譲二さんが亡くなったそうです。

急死・安部譲二さん 2年前のブログで“死因予想”ピタリ(東スポWeb) - Yahoo!ニュース

 

東スポ記事から引用:記事はそのうち削除されるから)

急死・安部譲二さん 2年前のブログで“死因予想”ピタリ

9/9(月) 17:10配信

東スポWeb

 作家の安部譲二さんが2日午前1時18分、急性肺炎のため東京都内の自宅で死去していたことが分かった。82歳。葬儀・告別式は近親者のみで行った。8日にホームページで事務所が公表。「生前は多くの方々に安部譲二とその作品を愛していただき、心より感謝申し上げます。自宅でもサポートして下さる在宅医療の方々を常に笑わせ、明るく前向きな安部譲二ワールドを展開しておりました」と報告した。

 安部さんは東京出身で名門麻布中学に通う。後に首相になる橋本龍太郎氏と同級生だった。その中学時代に安藤昇さん率いる安藤組事務所に出入りするようになる。麻布高校へは進まず英国留学するも、退寮処分になってしまう。

 帰国すると慶応義塾高校に入学。安藤組組員としての活動が増え、逮捕も経験する。23歳で日本航空に客室乗務員として就職したが、客とトラブルになった上に前科がバレてクビになった。その後は小金井一家にヘッドハントされ、キックボクシング解説者、競馬評論家など異色の経歴をたどった。なかでも青年実業家として経営した青山のジャズクラブ「ロブロイ」は有名。デビュー前の矢野顕子がピアノを弾いていたという。また、三島由紀夫の小説のモデルにもなった。

 1981年に堅気になる。賭博や麻薬など前科14犯だった。86年に府中刑務所での実体験をもとにした自伝的小説「塀の中の懲りない面々」で作家デビュー。ベストセラーになり、映画化もされた。

 ホームページのブログでは自身の死因をピタリと予想していた。2017年5月14日付で「俺は大腸癌のステージ4だが、御歳八十で息を止められるのは癌じゃないと思う。無類の食いしん坊で、子供の頃小児喘息だった俺は間違いなく食中毒か肺炎で身罷る。そんなことまで俺にはみんな分かっている」と書いていた。

 ブログは18年11月24日付を最後に書かれておらず、19年正月に写真コーナーのみ更新していた。

(引用終わり)

 

塀の中の懲りない面々」を読んだのは小学生のときだったかしら?

シエラレオネという国があること、

刑務所の中ではいろんな人がいる(ヤクザと麻薬中毒者と泥棒と殺人鬼だけがいる場所ではないことをはじめて知ったのがこの本)、

ニセ医者?はガラスでウオノメ直したり、竹箒で薬を作ったり、ハリ打ったり、

やれる人はどこでも医者をやれるんだなあと思ったり、

歯ブラシの柄の部分を球に加工してあることに使うなど、

とっても刺激的で面白かったことをなんとなく覚えてます。

手元にもうこの本は持ってないので詳細が思い出せません。

なんか「親孝行は3歳(5歳かな?)までのかわいらしさで一生分もう済んでいる」っていう言葉があって、それを見ては「私は3歳の時点でそんなにかわいらしくなかったから、この例には該当しないなあ」と悲しくなったのを覚えてます。

 

今の刑務所と「塀の中の懲りない面々」の刑務所はだいぶ様子が違うと思うけど、

刑務所帰りの人に偏見は持たないようにしよう、

そんなに怖い人しかいないわけではない、

と思った本でした。

小学生が呼んだ頭の中の感想だから、深みのあることかけないや。

 

こころからお悔やみ申し上げます。

 

最近昼夜逆転気味だ。

風邪引いてからせきが止まらず夜寝れなくなって、

こんな時間まで起きちゃう。

良くないなあ。